十万人に一人の病を超え。
マーケティング・アドバイザー 黒木ヨウドウ
十万人に一人の病を超えて、
僕の人生は「ゼロリセット」された。
取材・構成 イワブチシンジ
編集前記
人生には、予期せぬ転機が幾度となく訪れます。九州大学工学部というエリート街道から、手取り十数万円の駆け出しデザイナーへ。更には十万人に一人といわれる「脊髄腫瘍」によって、首から下の身体感覚をすべて失うという途方もない試練——。
今回インタビューさせていただいたのは、どんな境遇におかれても「面白がれる理由」を見つけ出し、前へと突き進んできたWebクリエイティブ界の異端児です。過去のキャリア選び、病の渦中で経験した現在、そしてこれからを見据えた視線を、
全八章にわたってお届けします。
第一章 十万人に一人の病。
「脊髄腫瘍」八時間の大手術。
すべての始まりは、左手小指のかすかな痺れでした。地元のクリニックを受診したものの「うちでは手に負えない」と告げられ、紹介先である九州医療センターへ。精密検査の結果、脊髄に巨大な腫瘍が見つかりました。確率にして「十万人に一人」とも言われる脊髄腫瘍です。胃がんなどのように周辺組織ごと切除することができない脊髄腫瘍の手術は、過酷を極めました。周囲を取り囲む神経を一切傷つけぬよう、腫瘍部分だけをわずかにこそぎ落としていく作業。骨を外し、脊椎の奥深くにアプローチする手術は実に八時間に及びました。
第二章 感覚ゼロから。
「身体の取扱説明書」を。
八時間におよぶ手術を終えて目を覚ますと、首から下の身体感覚は大きく変わっていました。尿意や便意、触覚、手の動きまで、それまで当たり前だった感覚が失われていたのです。箸もうまく持てなくなり、「せっかくゼロになったのだから」と、正しい持ち方から練習し直しました。砂浜を歩けば左右で違う感覚があり、左手は視線を外すと勝手にねじれてしまう。それでも、身体に起きた変化を悲観するのではなく、「一つずつ解いていく問題集」のように捉え、楽しみながらリハビリに向き合っていきました。
第三章 七割の生存確率。
驚異のポジティブ思考。
摘出した腫瘍が良性か悪性かを調べる病理検査の際、医師からは「悪性なら転移の可能性が高く二年以内に命を落とす。ただし七割方は良性でしょう」と告げられました。ショックを受ける妻の横で、本人はいたって平然としていました。「七割大丈夫なら、大丈夫でしょ!」と妻を逆になだめたといいます。リハビリ期間中も自ら看護師や理学療法士へ「こういうアプローチはどうですか?」とソリューションを提案し続け「コンサルティング」するように回復を進めました。(笑)
第四章 九大工学部時代。
完成形が見えない基礎研究。
時計の針を、病気にかかる以前の過去へ戻します。宮崎県都城市で育った黒木氏は、九州大学工学部へ進学し、そこで専攻したのが「摩擦」の研究。しかし、研究を深めれば深めるほど「この成果が最終的に何に使われているのか」が見えなくなっていく感覚に陥り、フィニッシュの形が見えないモノづくりに限界を感じ、大学三年時に「大学を辞める」と思うものの、親の説得もあり大学を卒業。
第五章
デザイン専門学校へ。
大学卒業後、「作ったものが売れたかどうかがダイレクトに返ってくる世界」を求め、広告・デザインの道へ。九州デザイナー学院(現 福岡デザイナー・アカデミー)に進学し、一年目で必要な単位をほぼ取得すると、残りの時間は自主制作に没頭しました。当時、広告業界のプロたちも愛読する『広告批評』を読み込み、街の広告を撮影しては「自分ならどう表現するか」を分析。卒業後はマンションの1室で、社員4人の小さな広告制作会社へ就職し、、初任給は手取り十数万円。それでも、周囲からの評価とは裏腹に、「毎日が楽しくて仕方がなかった」と振り返ります。
第六章
ウェブ黎明期のその世界へ。
不動産広告などの紙媒体や看板などのデザインをを手掛けた後、百貨店の会員誌などを手掛ける有名制作会社から「ウェブ事業部を立ち上げてほしい」と打診を受け転職、しかし「事業部」とは名ばかりで、メンバーは自分1人だけ。当時はCSSもCMSも存在しない、HTMLを手打ちするWebの黎明期。紙媒体のデザイナーでありながら、趣味で触っていたWebの知識を武器に、顧客交渉、デザイン、コーディング、サーバー設定、更には社内のパソコントラブル対応やドメイン設定まで、すべてのインフラと実務を一人で切り回していきました。
第七章
転機・ウェブ業界の成長とともに。
地道に積み重ねてきた実績が評判となり、「ウェブをやっている」という噂が大手広告代理店にも届くようになりました。時代はガラケー全盛期。キャリア各社の大型プロモーション案件を手がける機会が増え、一人で始めた事業部もどんどん規模を拡大していきます。 そんな中、大型プロジェクトで協業したウェブ制作会社からスカウトを受け、社員わずか数名の会社へ転職。入社半年後には大手広告代理店への出向も経験するなど、ウェブ業界の成長とともに、キャリアも大きく加速していきました。
第八章
ゼロリセットを繰り返した先にある「これから」(現在〜未来)
黒木さんのこれまでの歩みを振り返ると、人生の節目ごとに「ゼロに戻り、そこから新しい価値をつくる」という経験を重ねてきました。 病を経た今、「なるようにしかならない。だからこそ、目の前の課題をどう面白がるか」。その姿勢は、どんな環境の変化にも揺らぐことはありません。過去に積み上げてきたものに固執するのではなく、必要であれば一度リセットし、また学び、考え、つくり直す。変化を恐れず、ゼロから始めることを楽しむ力こそが、これからの未来を切り拓いていく原動力であると、、
〒814-0001福岡県福岡市早良区百道浜2-4-27福岡AIビル (受付:4階)
- 吹奏楽団に所属
- コメンテーターとして
- 自身のラジオ番組スタジオにて
- 自身主宰の散歩トーク
編集後記
人生に巻き起こる不条理や過酷な環境の変化を、これほどまでに「面白がり、楽しむための問題集」へと変換できる人がいるのかと、深い感銘を受けるインタビューでした。九大卒というキャリアを軽やかに脱ぎ捨てて自分の直感に従った過去、身体感覚を失いながらも前向きに自分の体をコンサルティングした現在、そして新しい変化を楽しみ続ける未来。「どんな事態になっても、ゼロからもう一度組み立て直せばいい」。語り手が放つその強い肯定感は、変化の激しい現代を生きる私たちに、折れないしなやかさと踏み出す勇気を与えてくれます。