いくつもの顔で、
生きていく。
モデル・ヨガインストラクター 田村知子
モデル、そして、身体の専門家へ。
取材・構成/イワブチシンジ
編集前記
モデル、ヨガインストラクター、フィジカルトレーニングトレーナー。そして舞台やファッションショーの演出、マナー講師まで。田村知子さんには、ひとつでは言い表せないほど多くの顔がある。
しかし、そのすべては突然生まれたものではない。好きなこと、興味と疑問を抱いたことに飛び込み、迷い、学び、そのたびに新しい自分をつくってきた人生だった。いくつもの経験を重ねながら、今もなお新しい「武器」を手に入れ続ける。その歩みこれ迄の生き方の片鱗を少しだけ聞いてみた
第一章
九歳で知った人生の終わり。
北九州市小倉北区で生まれ、二人の兄に囲まれて育った田村さん。九歳の時、六歳上の兄を突然亡くした。 初めて身近に「死」を見た経験は、幼い彼女の人生観を大きく変えたという。人はいつか死ぬ。だからこそ、人生は当たり前に続くものではない。その感覚は、自由に生き、自分のやりたいことへ向かう原点になった。後になって振り返れば、人生の限りを知ったからこそ、今を生きることへの意識が強くなったのかもしれない。
第二章
コンプレックスから夢へ。
子どもの頃から背が高く、周囲より頭ひとつ抜けていた。そのことが、当時の田村さんにはコンプレックスだった。 大きいと言われることが嫌で、これ以上背が伸びたくないとスポーツからも距離を置いた。しかし一方で、ファッションへの憧れは強かった。雑誌『MCシスター』を読み真似をしながら、いつかモデルになると決めていた。嫌だった自分の個性が、いつしか夢を叶えるための大切な個性へ変わっていく。人生とは、不思議な転換の連続なのだ。
第三章
ファッションが導いた決意。
モデルになりたい。 その夢は厳格な家族、特に父に、直ぐ理解された訳ではなかった。安定した道を望む両親にとって、モデルという仕事は未知の世界だった。それでも、田村さんの気持ちは揺らがない。高校卒業後は福岡の服飾専門学校へ進み、ファッション服飾を学びながら夢への道を探した。一度は父の縁で会社勤めも経験するが、わずか四カ月で退職。「やっぱりモデルになりたい」という気持ちには逆らえなかった。 自分の人生は、自分で選ぶ。その決意はすでに始まっていた。そしてモデルとして、 デビューする
第四章
表現者から演出する側へ。
時代はスーパーモデル、地元福岡でモデル事務所に契約するも、そんなに仕事も無い。そんな時、関西を中心にするモデル事務所にスカウトされ、大阪での仕事を経て、福岡の事務所で本格的にモデルとして活動を始めた。ブライダル、ファッションショー、撮影、企業の仕事まで、当時週末はショーで埋まり、平日も仕事が続く時代だった。モデルとして舞台に立ちながら、衣装構成や出演順、モデルの人選、フォーメーションまで相談されることもあった。寝る間も無く、ガムシャラに依頼に答えた。表に立つだけではない視点が、すでに育っていたのだ。
第五章
三十二歳、裏方一年生
すでに、当時モデルとしてキャリア築いていたが、同時に演出の領域に踏み込んでいた為、ある意味モデル田村知子を一時封印。当時三十二歳で飛び込んだのは、イベント制作の世界、裏方の世界だった。それまでモデルとして生きてきた彼女にとって、パソコンも電話対応も、ファックスの送り方さえ手探りだったという。人に聞けず、一人で悩んだこともある。それでも、アシスタントから始まり、式典、イベント運営、舞台の現場まで、一つひとつを経験。表舞台にいた人が、今度は舞台を支える側になる。その経験によって、人間性と仕事の幅は大きく広がっていった。
第六章
壊れた先にあったヨガ。
裏方として忙しく過ごす日々、常に仕事は 山積、有り難いことに指名案件多数。しかし、いつしか健康面、身体にも現れた。 四十代の頃、右手が動かなくなり、腕の腫れや痛み、不眠にも苦しんだ。原因のはっきりしない不調の中で、初めて自分自身の身体と向き合うことになる。そこから始めたのがヨガだった。驚くべきことに、ヨガ経験はほとんどないまま「インストラクターになりたい」と門を叩いたという。三年かけて学び、さらにエアリアルヨガへ。 身体を知りたいという思いは、 人生の新しい専門性へと変わっていった
第七章
学び続ける身体の専門家。
ヨガを学んでも、田村さんの探究心は止まらなかった。もっと身体のことを知りたい。もっと正しく伝えたい。その思いから五十歳でトレーニングの専門学校へ進み、若い世代に交じって半年間学んだ。現在はヨガ、エアリアルヨガ、フィジカルトレーニング、ボディメイクを軸に活動する。さらに骨格や身体の歪み、痛みについても学び続けている。本人はその歩みを「ドラゴンクエストのように武器やアイテムを増やしている」と笑う。学ぶことが、次の自分をつくっている。
第八章
人生の豊かさを増やしていく。
モデルから始まり、演出、イベント制作、マナー講師、ヨガ、フィジカルトレーニングへ。 一見すると別々に見える仕事も、田村さんの中ではすべてつながっている。美しく見せること。身体を知ること。人の前に立つこと。そして、人を支えること。これまで得た経験の一つひとつが、今の仕事に生きている。これからも骨格や痛み、身体の本質を学びたいという。年齢を重ねることは、何かを失うことではない。新しいを増やし続けることなのだ。
〒8120011 福岡市博多区博多駅前 (プライベートスペースの為、お問合せ後お知らせいたします)
- 田村さんヨガ姿
- 田村さんモデルコンポジ
- ヨガスタジオレッスン模様1
- ヨガスタジオレッスン模様2
編集後記
多彩な経験が人をつなぐ、、田村知子さんを取材して感じたのは、「マルチに活躍する人」は、器用だから何でもできるのではないということだった。目の前に現れたことから逃げず、興味を持てば、そのことを学び
今、出来ないことにも飛び込む。その積み重ねが、モデル、演出家、講師、トレーナーという複数の顔をつくっていた。二十代、三十代の積み重ねた経験が、つながっている。「人生に武器を増やしていく」 武器という表現とも少し違う。久々にお逢いして、凄く自然体に、何より自分に正直に、素直に、学び続ける方が大切なんだと、改めて感じさせてくれる人。田村さんが言っていたのは、「新鮮であること」「一つの視点だけで無く、あらゆる視点を持つこと」 そして、、何より「笑顔であること、有り続けること」その為に、、である。
その姿勢こそが、田村知子さんの一番大きな何より素敵な魅力なのだろう。