食べることは、生きること。

料理研究家 山際 千津枝

料理から人生を考える。

取材・構成/イワブチシンジ

料理研究家 山際 千津枝

編集前記

「食べることは、生きること」。
山際千津枝さんの話を聞いていると、料理は技術ではなく、人と人をつなぎ、人生を支える営みなのだと改めて気づかされる。幼少期の記憶、家族との暮らし、勉強が苦手だった少女時代、栄養士としての出発、料理教室、テレビ、ラジオ。

華やかな経歴の裏には、いつも「できない」と思いながら一歩を踏み出してきた時間がある。その言葉には経験から生まれた強さと、ユーモアがある。

第一章 

小倉の記憶が育てた感受性。

小倉で育った幼少期。 米軍関係者が暮らす地域が近くに、、芝生の庭や水洗便所は、子ども心には「別の星」のように映った。                    一方、二歳になる前に実母を亡くし、妹とともに継母に育てられる。大切に育てられながらも、家族の心の動きを敏感に感じ取る子どもだったという。「人の顔色を見る子に育った」。その感受性は、やがて人の心を読む力となり、料理を伝え、言葉で人を惹きつける現在の仕事にもつながっていく。

小倉の記憶が育てた感受性。

第二章

「できない」が支えた原点。

勉強は苦手で、学校ではいつも低空飛行。IQテストの結果を心配した学校から親が呼ばれるほどだった。                     それでも継母は普通学校へ通わせ、家庭教師までつけてくれた。高校卒業後は短大の栄養科へ。栄養科が何を学ぶ場所かも知らなかったという。支えたのは、料理上手でおしゃれだった母の存在と、季節の行事食や暮らしの文化だった。「先生と呼ばれるなんて、今でも何かの間違い」。その謙虚さの根には少女時代の記憶がある。

「できない」が支えた原点。

第三章

恐怖を越えて仕事になる。

短大を卒業しても、自分が社会で役に立つとは思えなかった。                                                  そこで保健所に頼み込み、給料はいらないからと飛び込む。そこで出会った栄養士に憧れ、仕事を覚えた。その後、公民館の料理教室を任されることに。料理経験はほぼない。それでも一夜漬けで準備し、必死に教えた。                                                                                「仕事とは何ですかと聞かれたら、恐怖を乗り越えること」。出来ないことから逃げず、怖いまま一歩を踏み出す。その積み重ねが料理研究家への道を開く。

恐怖を越えて仕事になる。

第四章

料理を教える人になる。

時代は高度成長期、公民館の料理教室には多くの主婦が集まった。料理を習うことは、家の外へ出るキッカケでもあった。            山際さんの教室は口コミで人が増え、栄養改善の講演や料理指導へ仕事が広がっていく。人前で話すことは苦手だったが、常に「出来ない」と思いながら乗り越えた。やがて博多にも呼ばれ、料理教室を通じてメディア関係者との接点が生まれる。料理を教える仕事が、伝える仕事へ変わり始めた時代だった。

料理を教える人になる。

第五章

逃げ続けた先のテレビ出演。

四十歳の頃、思いがけずテレビ出演の話が舞い込んだ。 地域の料理番組をキッカケに、ワイドショーなどへ活動の場が広がっていく。本人はテレビに出たくなく、何度も断った。プロデューサーは三カ月にわたり説得を続けた。初出演から約四十年。テレビ、ラジオ、雑誌などで料理を伝え続けてきた。                                                                                                    「今日で最後にしてください」と思いながら現場へ行き、終わると爽快感で帰る。                              その繰り返しが、今日迄の長いキャリアをつくった。

逃げ続けた先のテレビ出演。

第六章

活字が育てた伝える力。

料理研究家だけでなく、コメンテーター、エッセイストとしても歩みを重ねてきた。                                                                                                                                                                                    読書が好きなのは趣味というより、もはや呼吸のようなもの。「お風呂に本がなければ、シャンプーの説明書を読む」。漫画から始まった読書は、雑学や社会への関心を育て、コメントや文章の土台になった。テレビでは料理だけでなく、人や社会について語る。経験と読書が、物事を多角的に見る視点を生んでいる。料理を入口に、人生を語る人なのである。

活字が育てた伝える力。

第七章

与えることが育てる豊かさ。

山際さんが大切にする価値観の一つが「ギフト」だ。物だけではない。優しい言葉、時間、誰かのために手を動かすこともギフトになる。「ギフトできる人は幸せ」。縄文時代にも関心を持ち、自然からいただいたものを自然へ返す感覚や、争わず与え合う文化に惹かれている。お金だけを価値の基準にしない「評価経済」にもつながる。人から信頼され、誰かに新米を贈りたいと思ってもらえる人生。それこそが豊かさなのだという。

与えることが育てる豊かさ。

第八章

不器用だから見える未来。

現在も山際さんは、若い人や社会の変化を見つめ、言葉を届けている。昔に戻ればいいとは思わない。今の若者には、SNSや周囲の目にさらされる、別の生きづらさがあるからだ。一方で、失敗や挫折も人生には必要だという。「不器用万歳」。そして座右の銘は、少し意外な「野ぐそは人の目を見てしろ」。恥ずかしいことや苦しさから逃げず、堂々と向き合うという意味だ。料理も人生も、完璧でなくていい。 怖くても一歩進めばいい。

不器用だから見える未来。

編集後記

山際千津枝さんの人生をたどると、料理研究家という肩書きだけでは収まらない姿が見えてくる。勉強の苦手さ、家族への遠慮、社会に出る不安。何度も「できない」と思いながら、それでも目の前の仕事を引き受けた。栄養士から料理研究家へ、テレビ、ラジオ、文章へと活動が広がった。知識も経験も、与えられたものではない。逃げ、迷いながら積み重ねてきたものだ。「無駄なことはない。全部つながっている」。その歩みを表す。
そう人生はつながっている。